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高岡開町400年記念事業の企画をみて

日曜日に書いていたエントリーで、高岡の歴史を考えるときは前田利長中心ではなく、普通の人の歴史を中心に考えるべきだと書きましたが、高岡開町400年まつりの企画書を見ると、利長以外にもちゃんとスポットライトを当てようとしていたようだという気がしてきま した。少なくとも委員のうち何人かはそういう意志を持って企画していたんじゃないでしょうか。自分もその影響下で前のエントリーのように考えるようになっていたん じゃないかという気がします。

高岡開町400年記念事業に関する報告書 平成18年3月30日
(PDFファイル)

お祭りでは記念誌「高岡を愛した先人たち」を発行したり、「高岡の偉人」40人の扮装をしてみたりしたのがその意志の実体化だったのでしょう。中学生には無料で配られたらしいのですがどんな記念誌なのでしょう?

コメント

匿名 さんのコメント…
ブログ内容に同意します。高岡市だけではなく、越中の西部は特に加賀藩に睨まれていた様で、加賀藩の時代に能登と越中西部は前田家の占領地扱いで、特に小矢部川西部は75%もの高税率をかけた場所もあります。佐々成政に従って能登末森城で戦った守山城神保氏張の影響下に在った地域は特に懲罰がキツかった様で、幕末迄状況は変わっていません。高岡市の豪商が前田家の治世を受け継ぎ「高岡市」もその影響で一方的、独壇的な「高岡市史」を作成しましたが、その為、「資料編」も残されていません。高岡市の歴史は全て「前田家のおかげ」との思想が豪商によって喧伝され、その他の歴史は消されました。こんな偏向した歴史観を持つ都市は全国的にも少ない様です。万葉時代からいきなり加賀藩時代の歴史に跳ぶ歴史観しか持たない高岡市では、行政も他の時代には目もくれない状況です。まだまだ高岡市は前田家治世の封建時代から脱却できない都市です。著名な古文書にはいろいろ記載されていますが、それ等を調べる学者も数人と少なく、教育的にも全国からみれば後進都市です。