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9月, 2009の投稿を表示しています

Picasa 3.5の顔認識機能が面白い

面白いのだけれども、確かに面白いのだけれども、人の名前を結構忘れていることに気づかされてつらくもある機能が追加されました。つきあいが1年程度だと結構思い出しづらかったり、新入社員時に出会った人は意外に覚えていたり。あまりに人の名前を覚えていなくて絶交された思い出がよみがえってきたり。 今回のバージョンアップでPicasaはPC内にあるすべての写真から顔を抽出してきて、自動的に同じ人をまとめてくれるようになりました。
それに人名を書き込んでゆけば、今まですごくマメな人しか作れなかっただろう顔写真データベースが手軽にできてしまいます。
Google Picasaはこれまでも優秀な写真管理ソフトでしたが、これでPCに興味のなかった人でさえも引きつけられるようなキラーアプリになったかもしれません。顔認識はそこそこ正確で、20人ほど試して別人を同一人物と間違えたのは1件だけ。
同じ人を別人として認識することは結構ありますが、割合簡単に一人にまとめられます。しかし公開されたのはまだ英語版のみで、Windows Vistaではインストール時と、あとから人名を編集する時には画面上で文字化けが発生しました。
編集結果の名前は正常でしたが、日本語版が出るのを待った方が良さそうな気がします。 他にも、ジオタグが従来のGoogle Earthよりも高速なGoogle Mapsを使って指定できるようになったり、キーワードタグという機能が増えたりしています。Version 3.5, Build 79.67 - September 22, 2009Note that this is an English release only.Added name tags in the Picasa software.Improved geotagging: You can now geotag in Picasa using Google Maps in the 'Places' tab.Improved keyword tagging:   New 'Tags' tab for easier tag management.New Quick Tag buttons for easy access to commonly used tags.Import changesAd…

なぜ富山県、とりわけ高岡市は歴史の教科書に出てこないのか(5) - 法則を破る人物も

前の記事7. 戦後の政治そして、民主党政権交代時に自民党の新人議員を送り出す現代になります。
他県では過去の政党だと思われている社民党と国民新党が異様に大きな存在感を持っているところなど、やっぱりこれまで見てきた通りの高岡だと思わせてくれます。しかしそんな中、確かに歴史から埋没してはいるのだけれども、「早すぎたり遅すぎたりと間が悪かっただけで、意図的ではない」というタチバナ現象の定義から外れる例も出てきました。
元読売新聞社主の正力松太郎、別名ポダムさんは金にものをいわせて富山3区から当選1回で総理大臣の座を狙ってゆきます。結局、田中角栄らとの政争に敗れて科学技術庁長官ポストに落ち着きますが、高岡らしからぬ力強い野望を見せつけました。
このことはもう政府、マスコミが総力を挙げて歴史から消しにかかっています。--- 以上、富山県呉西地区、高岡市が権力と微妙にずれたポジショニングをしてきた歴史を眺めてきました。これだけタチバナ現象で体制から距離を置いていても、歴史の教科書からは消されるかもしれないけれど、まあそれなりにやって行けるんだという気にならないでしょうか。最後に、現在の権力が選んだ歴史を列挙してみます。 日本政府の選んだ物語米騒動イタイイタイ病高岡市の選んだ物語大伴家持の文学前田利長の支配金屋の鋳物 - 三協立山、銅器製造販売各社用水を整備した技術者 - 米作り農家高岡市が最近追加した物語伏木の北前船 - 北前船資料館 - 伏木海陸運送山町筋の商業 - 土蔵造りの町資料館東京支配を脱して発展するためにも、『日本の古き良き』などと言って押しつけられている画一的で閉鎖的な田舎のイメージと違った、あなたの呉西地区、高岡市の物語を持ってみることをおすすめします。

なぜ富山県、とりわけ高岡市は歴史の教科書に出てこないのか(4) - 格好よくすらある

前の記事5. 徳川幕府を仮想敵とした前田家支配江戸時代の歴史は江戸だけ見ていればOKという感じで、あとは県ごとに自分の県に存在した藩の歴史を大切に教えているという状況でしょう。この時代の高岡もやっぱり体制側とは逆のポジショニングを行います。
前田家は基本的に幕府を仮想敵と設定していたようで、高岡に幕府の権威の名残を見ることはありません。幕府の目を欺いたり、攻撃に備えたりしていた形跡ばかりが残っています。お城の守りが弱い背後にあった定塚町を、町ごとお城の正面に移す瑞龍寺の屋根瓦を弾丸の原料として使える鉛にした一国一城令でつぶした高岡城址の堀を埋めずに活かし続けた田んぼを狭く見せ、石高をごまかした砺波の散居村高岡最大の祭礼である御車山まつりも、豊臣秀吉が天皇を聚楽第に迎えたときに使った車を高岡の町人に与えることによって前田家の向こうに幕府ではなく、朝廷の威光を見せて民衆を手なづけていたのでしょう。こんなことをしていると当然幕府から疑いの目を向けられるのですが、前田家は高岡を開町した2代藩主の利長をスケープゴート扱いして隠居させ、加賀藩を守ることになります。そうして加賀藩は引き続き金沢を中心として栄え、高岡はまた政治の中心から外れることになります。
もっとも、3代藩主の前田利常の庇護の下、商業的には大きな躍進を遂げるので高岡にとって良かったか悪かったかは分からないところではあります。6. 明治維新時は新政府側ではなかった明治維新のときも当然、新政府側にはつきません。

天野屋蒲鉾店のホームページによると、明治5年、高岡は県庁の設置か米相場の設置かを選べる立場になったとき米相場を選んだのだそうです。
現在から見た結果はちょっと損だったようにも思えますが、「県庁?何それ?食えるの?」って感じが、もうかっこよくすらあります。続く

なぜ富山県、とりわけ高岡市は歴史の教科書に出てこないのか(3) - ここから本番

前の記事3. 鎌倉幕府滅亡直後に後醍醐天皇の息子、恒性皇子を殺害 後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうとして失敗した元弘の変で失脚した後醍醐天皇の息子、恒性皇子は高岡で軟禁されていました。
後醍醐天皇は配流されていた隠岐の島から戻り、再び鎌倉幕府に対して攻勢に転じ、1333年の春についに幕府を滅ぼします。
恒性皇子を預かっていた越中の守護名越時有は鎌倉幕府方だったのですが、鎌倉で北条氏が滅ぼされたころ、450km彼方の出来事を知ってか知らずか恒性皇子を殺害してしまいます。
恒性皇子の墓は都の置かれたことのない場所に存在する唯一の皇族の墳墓なのだそうです。勝者の息子を殺害してしまっては高岡は当然歴史から消されてしまいます。タチバナ現象の始まりです。4. 百姓のもちたる国、一向一揆、浄土真宗門徒による自治室町時代に入ると土砂の堆積で伏木の港湾機能が低下し、国府が放生津のあたりに移動します。そこにはかなり大きな船を持った商人が存在したという記録が残っているそうで、海上交易は依然盛んだったと見てよさそ うです。
この時代に起きた浄土真宗の北陸進出は高岡の文化に対して大伴家持、前田利長以上に大きな影響を与えています。金沢と福光の中間あたりに本泉寺というお寺があります。そこには浄土真宗中興の祖である蓮如の叔父がおり、1471年ごろ比叡山延暦寺との対立で京都にいづらくなった蓮如を福井、石川県境の吉崎へ招き入れます。そして、それを機に北陸地方で一気に浄土真宗が広まります。
越中では蓮如により同1471年に建てられた勝興寺善徳寺と、ひと足早く1390年に綽如によって建てられた瑞泉寺の3つの寺院を中心に信者を増やしました。
やがて浄土真宗の門徒は加賀の守護を務める富樫氏の実権を奪い、金沢御坊を中心としてある種の共和制のような政治体制を作り上げます。これは「百姓のもちたる国」とも呼ばれます。ここでいう「百姓」は網野喜彦が解釈したように、狭く農民という意味ではなく、貴族、武士、町人、神官、僧侶以外の普通の人々ととったほうがよさそうです。この政府は商業活動により経済力を高めた百姓つまり豪商、豪農、廻船業者が中心となって運営されていました。これは朝廷や武士以外の人によって運営された日本で初めての政治体制として、民主主義国家としては大々的に教科書に取り上げられてもおかしくない出来事だといえます。しかし、そうはな…

なぜ富山県、とりわけ高岡市は歴史の教科書に出てこないのか(2) - 本領発揮前

前の記事1. 物部氏が住んでいた 古事記や日本書紀の時代、10代崇神天皇の命を受けて大彦命が北陸道、高志道を平定します。これは大昔過ぎて歴史というよりは神話みたいな時代です。
大和朝廷が畿内から外部に勢力を拡大したとき最初に制圧された地方のひとつといえます。
大彦命は越中の守護として物部氏を残していきました。
時代は過ぎて30代敏達天皇の時代に物部氏は失脚しますが越中には影響はあったのでしょうか。
この頃のことは大和朝廷と藤原氏の都合のいいように記録されているでしょうからなんとも言えないところです。2. 越中の国守、大伴家持が失脚天平時代746年-751年、越中の国守として大伴家持が伏木に赴任してきます。これは高岡の人には最も有名な歴史上の出来事となっています。
文学はもちろん政治的にも有能な方だったと思われますが、越中から帰ったあと次々に政争に巻き込まれており、あまりいい晩年を送ったとは思えません。
橘奈良麻呂の変: 関与を疑われ薩摩守に転任
氷上川継の乱: 関与を疑われ追放
藤原種継暗殺事件: 関与を疑われ没後だが官位剥奪。のちに名誉回復
越中と伏木の政治的な立場には多分影響なかったと思いますが、のちの高岡の影の薄さを暗示しているようにも思えます。この時代、高岡の存在感がどの程度のものだったかを示す資料としては、昨年「越中国射水郡鳴戸開田地図」(759年)が発見されました。これは現在見つかっている中では国内最古の地図だということです。
この地図は当時高岡に東大寺の荘園があったということを示しています。少なくとも穀倉地帯としては重要な土地だったのではないでしょうか。続く

なぜ富山県、とりわけ高岡市は歴史の教科書に出てこないのか(1) - プロローグ

高岡開町400年まつりにはこれを機に「高岡の歴史と文化を振り返り、学び・再発見・再認識する」という目標があります。
しかし、そもそも富山県が社会科の教科書に登場するのは米騒動とイタイイタイ病のみです。高岡市を含め呉西地区なんてかすりさえもしていません。教科書に載らないからといって呉西・高岡に歴史がないわけではありません。
その理由として学生のころささやかれていたのは、「政治、経済の中心はずっと太平洋側だったから」というのと、「歴史の資料が一向一揆で燃えてなくなったから」という2点でした。・ 「政治、経済の中心はずっと太平洋側だったから」説
幕府の置かれた鎌倉と江戸は確かに太平洋側にあり、政治的に日本海側が中心となった時代はないようにみえます。しかし、経済的には日本海側が大きな存在感を持っていました。太平洋側より日本海側のほうが先に海上交通が発達し、盛んに交易が行われていたようです。・「歴史の資料が一向一揆で燃えてなくなったから」説
一向一揆というのは意外と戦争のようなことはあまりやらなかったようです。加賀にしても富樫氏を滅ぼしたわけじゃなく、百姓のもちたる国だった頃も守護はひきつづき富樫氏がやっていたりします。激しく戦ったのは織田信長に攻められたときの、後に大阪城となる石山本願寺や伊勢の長島くらいなのではないでしょうか。そもそも富山県で激しく戦っていたなら瑞泉寺、勝興寺、善徳寺が織田家の武官だった前田利家と仲良く同居する気にならないはずです。浄土真宗には焚書をする習慣も動機もなさそうですし。少なくとも他の地方よりも昔の資料が大幅になくなったとは考えづらいところです。
これは勘ですが、一向一揆と明治維新のときに行われた神仏分離・廃仏毀釈運動が混同して伝わっているのではないかという気がします。富山藩は廃仏毀釈の特に激しかった場所のひとつです(富山藩合寺事件)。富山の廃仏毀釈運動については玉永寺さんのサイトで詳しく紹介されています。お寺が取り壊されたり、経典が焼かれたりしたので、こちらの事件ではきっと歴史的な記録も失われたに違いありません。ただ、これだと藩や商人が持っていた記録は消えません。そもそも歴史上重要な事柄なら京都か江戸にも記録されているはずです。なので、どちらの説も決定的ではないと思います。これは仮説ですが、問題は歴史を記述する側にあったのではないでしょうか。歴史は勝者…

高岡開町400年記念事業の企画をみて

日曜日に書いていたエントリーで、高岡の歴史を考えるときは前田利長中心ではなく、普通の人の歴史を中心に考えるべきだと書きましたが、高岡開町400年まつりの企画書を見ると、利長以外にもちゃんとスポットライトを当てようとしていたようだという気がしてきま した。少なくとも委員のうち何人かはそういう意志を持って企画していたんじゃないでしょうか。自分もその影響下で前のエントリーのように考えるようになっていたん じゃないかという気がします。

高岡開町400年記念事業に関する報告書 平成18年3月30日 (PDFファイル) お祭りでは記念誌「高岡を愛した先人たち」を発行したり、「高岡の偉人」40人の扮装をしてみたりしたのがその意志の実体化だったのでしょう。中学生には無料で配られたらしいのですがどんな記念誌なのでしょう?

高岡は城下町ではなく江戸時代から町人が中心となった都市だったはず

今週末は高岡開町400年にあたって高岡開町まつりが行われています。テレビや新聞やパンフレットでお祭りの広報を見ていると、高岡の歴史として前田利長ばかりが取り上げられ、まるで城下町であったかのような説明がされていて、それにはなんだか歪みを感じます。歴史が教訓を現在に活かすためにあるのだとしたら、過去も城下町ではなく、現在も政治の中心地ではない高岡が、まるで城下町であったかのような歴史観を持っ てしまうのは損失ではないでしょうか。過去の高岡は政治権力が牽引して発展した都市ではなかったし、今後も県庁所在地のように政治権力を活用した発展はありえません。それを待ってしまうとずっと衰退するに任せることになってしまいます。江戸時代の高岡町人たちが前田家を崇めたのは彼らが前田家に恩を感じていたからにほかなりません。高岡のインフラを整備し、安全を保障してくれたから、加賀藩内で通用するいくらかの専売権をくれたからという理由だったはずです。まあ怒らせると怖いからといった理由もあったでしょう。
じゃあ、現代の我々が過去の有用な遺産について恩を感じるとしたら誰に対して感じるべきかと改めて考えるとき、今回のお祭りのように本当に前田利長にだけスポットをあてていればいいのでしょうか?。私は現代の我々は利長と同じくらいに過去の高岡の普通の町人の歴史を知るべきだと考えます。
なぜなら、高岡の町は前田利常によって与えられた加賀藩内の利権を超える発展をしており、高岡の普通の町人たちは何かすごいことをやってのけたに違いないからです。代表的な例は江戸時代の高岡を牽引した産業であり、最も大きな実をつけた綿市場です。高岡商人は前田家から加賀藩内の綿の独占権を与えられただけなのに、結果を見ると日本全体の綿市場を支配してしまっています。そもそも藩内には綿の大産地も大消費地もないにもかかわらずです。医学もそうです。なぜか高岡では医学が発達します。能登半島の妊婦さんは高岡の方角に向かってお参りをすると安産が約束されるという信仰がかった話まであったそうです。当時最高の医師がなったであろう幕府奥医師に利屋町の佐渡養順堂から出た坪井信良が就任しています。説明の必要すらない高峰譲吉も輩出しました。他にも鋳物産業を発展させた金屋、北前船の寄港地として栄えた伏木、100万石の2/3を占める砺波平野の米を集積した吉久、それぞれ繁栄を極め…

確かに子供に宗教はトラウマになりえる

物心つかないうちから親にキリスト教信じさせられて苦しい人、いませんか。
どこにも声をあげる場所がありません。(はてなアノニマスダイアリー)
http://anond.hatelabo.jp/20090910014230どう答えてあげればいいのか分かるほど質問が飲み込めていないし、自分の経験も解釈できていないのだけれども、確かにそういうことはあると思います。幼稚園のころ仏壇の前でキリスト教を信じるか仏教を信じるかなんてことを考えて深刻に悩んでいた記憶があります。詳しく思い出せないのですがつらがっていた覚えはあります。でも、小学校4,5年生になるころには神などの宗教世界観を否定していました。どういうきっかけでそうなったのかは忘れてしまいました。私の場合は神や悪魔や極楽浄土や運勢などのオカルトものの否定は簡単だったのですが、依然として宗教由来の倫理観に縛られているのだということは近年まで自分の意識の外にありました。「戦争における「人殺し」の心理学」(デーヴ・グロスマン著)などの本を読んでいるうちにようやく気づくことができました。(直接関係ない本だけど。)そういう刷り込まれた宗教倫理は労働への勤勉性とか、人を殺さないとか、便利な事もあるのですが、お金儲けを否定する意識の呪縛なんかはかなりきついなと感じています。キリスト教的倫理観に縛られているということを意識化に置くことができているこのブログの筆者さんはそれだけでもすごいと思います。自分の事に関しては、そういうのはきっとみんなそれぞれ持っているんだと思って付き合ってゆけばいいんじゃないでしょうか。他の子供がそういう思いをするのを憂うのは、そういう思いをしている子を見つけた時には慰めてあげようという心持でいればいいような気がします。どうせ宗教以外でも躓く石はたくさん転がっているのですし。

高岡における良さげなサードプレイスはどこだろう?

仕事するのにオフィスは要らない - ノマドワーキングのすすめ」(佐々木俊尚著)を読み始めました。
ノマドワーキングでは人と人とが自在につながり、場所には拘束されない仕事の方法です。こんな風に仕事ができたらいいなという憧れも抱くのですが、これからはこれができないと食いっぱぐれるんじゃないかという焦燥感も感じさせられます。
その働き方を構成する要素にオフィスを持たず、その時々で仕事に適した場所に陣取って仕事をするというのがあり、その仕事場所をサードプレイスと呼ぶ(Ray Oldenburg)のだそうです。そのサードプレイスを提供することを試みて成功したのがスターバックスだったのだとか。
じゃあ富山県高岡市近辺でサードプレイスとなりえるのはどこか?
気軽に長居ができて、立地が良くて、無線LANが使える場所。無線LANはほとんど普及していないので携帯かPHSのデータ通信カードに頼ることになるでしょう。
・無線LANのエリアで探すなら
無線LANスポットという条件で探すなら商工ビルや高岡大和百貨店、高岡文化ホールがあるのですが、商工ビルと大和は落ち着ける場所が思いつきません。大和ならお得意様サロンに入れるようになればいいのかも。
この中では文化ホールのカフェが穴場でしょうか。穴場過ぎて誰もいないのが欠点といえば欠点です。
・車が使えるなら
イオン高岡(無線LAN有)まで行けばサンマルクカフェがいい感じだし(スターバックスもあるが残念ながら落ち着かない場所にある)、明文堂書店高岡射水店も中にタリーズがあって居心地がいいのですが、どちらも郊外の不便な場所にあるのが欠点です。
・高岡駅周辺なら
市街地なら駅前の市立図書館は悪くないのですが、時間によっては高校生で埋まっているから午後は使えないと思っていたほうがいいでしょう。
図書館以外だとスターバックス的な広さと気安さは失われるけど、小規模な個人経営の喫茶店から隠れた穴場を探すことになります。全ての喫茶店を知っているわけではありませんが、末広坂にあるいっぽ堂の2階は比較的広くて静かで高岡市街の穴場といっていいかも。
以上、高岡に出張でいらっしゃった方の参考にでもなれば。