物心つかないうちから親にキリスト教信じさせられて苦しい人、いませんか。
どこにも声をあげる場所がありません。(はてなアノニマスダイアリー)
http://anond.hatelabo.jp/20090910014230
どう答えてあげればいいのか分かるほど質問が飲み込めていないし、自分の経験も解釈できていないのだけれども、確かにそういうことはあると思います。
幼稚園のころ仏壇の前でキリスト教を信じるか仏教を信じるかなんてことを考えて深刻に悩んでいた記憶があります。詳しく思い出せないのですがつらがっていた覚えはあります。
でも、小学校4,5年生になるころには神などの宗教世界観を否定していました。どういうきっかけでそうなったのかは忘れてしまいました。
私の場合は神や悪魔や極楽浄土や運勢などのオカルトものの否定は簡単だったのですが、依然として宗教由来の倫理観に縛られているのだということは近年まで自分の意識の外にありました。「戦争における「人殺し」の心理学」(デーヴ・グロスマン著)などの本を読んでいるうちにようやく気づくことができました。(直接関係ない本だけど。)そういう刷り込まれた宗教倫理は労働への勤勉性とか、人を殺さないとか、便利な事もあるのですが、お金儲けを否定する意識の呪縛なんかはかなりきついなと感じています。
キリスト教的倫理観に縛られているということを意識化に置くことができているこのブログの筆者さんはそれだけでもすごいと思います。
自分の事に関しては、そういうのはきっとみんなそれぞれ持っているんだと思って付き合ってゆけばいいんじゃないでしょうか。他の子供がそういう思いをするのを憂うのは、そういう思いをしている子を見つけた時には慰めてあげようという心持でいればいいような気がします。どうせ宗教以外でも躓く石はたくさん転がっているのですし。
コメント