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Ubuntu9.04でX.orgがフリーズしなくなった気がする

Ubuntu8.04か8.10を使い始めてから週に数回程度の頻度でXサーバがフリーズするようになっていました。
その間ATI Radeonを3種類使ってみて、どれでもフリーズしていたから半ば諦めていたのですが、メーカーが配布しているLinux用ドライバーをインストールしたらなおってしまったようです。

AMD Support & Drivers
Graphics Drivers & Software

ハイブリッドカーは強制的にヘッドライトを点けたらどうだろうか -- 騒音の付加には反対

歩行者に接近を気づかせるために人工的に音を付加するべきだという議論を見かけますが、ついに15日に政府の委員会から提案として出されてしまいました。これはあんまり筋のいい解決方法だと思えません。せっかく減らすことがで きた騒音をわざわざ付け加えるのは無駄でしょう。プリウス発売直後から見られたこの要望が10年実現していないところを見ると、結構多 くの人が静かな方がいいと思っているのではないでしょうか。

HV車 人工音義務付けへ 歩行者の安全確保 「静かすぎて危険」との指摘が出ているハイブリッド車(HV)や電気自動車の走行音について、対策を検討してきた国土交通省の委員会(委員長=鎌田実・東京大教授)は15日、新車にエンジン音に似た人工音を付けることを義務づけるなどの対策案をまとめた。

YOMIURI ONLINE http://www.yomiuri.co.jp/atcars/news/20091016-OYT8T00320.htm

ハイブリッド車等の静音性に関する対策検討委員会では、真剣な議論がなされているように見受けられますが、第一回検討会の資料2「ハイブリッド車等の交通事故実態について」(PDF)において指摘されている、
日本盲人連合会、自動車メーカー各社では静音性に起因する事故の発生は確認されていない従来のガソリン車と比べて事故率は同等というのが間違っていないのなら、政府が規制を設けるというのは行き過ぎでしょう。

もし改善しなければならないのなら光を用いた方法がいいと思います。バイクがヘッドライト常時点灯になったのと同じ理屈で、光で存在を周囲にアピールするわけです。具体的には15km/h以下の速度で電気モーターのみで走行する時は強制的にヘッドライトを点灯するようにすればいいと思います。
補助的な手段としてなら、発進時や交差点で点滅させるウインカーに古い車のような派手目のリレー音を付与するとか、運転席から外部に話ができるようなスピーカーをつけるようにするというのも有効だと思います。

・メリット
この方法なら今すぐ実現可能だということが最大のメリットです。スピーカーを新設もしないし、オンオフの判断もガソリンエンジンと共用できるので新規センサーも不要です。なので実装にたいしたコストがかかりませんし、車重も増えません。多分ECUのソフトウェア変更程度で済むんじゃないでしょうか。

試用中の4ブログのうちFC2ブログを閉じます

ココログに加え、試用中のFC2ブログGoogle BloggerはてなダイアリーのうちFC2ブログを閉鎖します。

BloggerはGoogle docsで下書きしてそのままアップできるのがとっても楽だということを実感できてきました。
はてなダイアリーは他の3ブログと違ったキーワードでたどり着く人が多く、もう少し様子を見てみたい気がします。
FC2ブログはなんの不満も無いサービスなのですが、今回はいったん閉じようかと思います。

相本芳彦さんの後援会事務所ができていた

先日の衆議院議員選挙で落選した相本芳彦さんの後援会事務所の看板が日通の高岡支店内に立っているのを見つけました。
民主党県議会議員の山上正隆さんと同じ場所のようです。生存確認って訳でもないですが、ちょっと安心しました。

そこは、今度射水市議会議員を引退される呉松ふくかずさんの元職場だったところで、呉松さんはそこで労組の役員、社会党員として活動されていたそうです。やがて社会主義に幻滅して民主党に転向されるのですが、そのときに日通高岡支店も一緒に民主党に転向したのではないかと思われます。

相本さんも、みんなの党推薦の柴田巧さんも、選挙で敗北が決まると早々にブログを止めてしまいました。落選した翌日から次回の選挙に向けて辻立ちするのがいいとも思わないけれど、運用コストがタダみたいなブログまで放棄するのはいかがなものでしょう?

東京で落選した社民党議員、保坂展人さんのブログエントリ「議員会館の資料の片づけをしながら思うこと」なんて前向きな姿勢が感動的です。相本さん、柴田さんが今後どうする予定なのかは知りませんが、情報発信は続けてほしい気がします。

自民党でも橋本岳さんのtwitterは続いていますし、富山県でも高岡市長選で敗れた向井英二さんのブログは日記にまぎれて時々興味深いエントリがあがっていますし。

本当に10日後にWindows7は発売されているの?

安いパソコンが1台欲しいと思っています。この時期なら新しいWindows 7を試してみたいところです。

しかし、ヤマダ電機、ジョーシンの店頭を見ても、各PCメーカーのホームページを見ても、これまでのWindows発売時のような祝賀ムードはぜんぜんありません。
メーカーホームページは下手するとまだWindows XPモデルが買えますよというのを前面に押しだしていたりします。
購入予約すら見かけませんし、買ってもアップグレードできない機種すらあります。これまでのようにガツガツとは売る気がないようです。
Windows 2000以降、だんだんWindowsのリリースが地味になっている気がします。

マイクロソフトが広告予算を絞っているのでしょうか?   
検索してもなかなかいいデータが出てこないのですが、米マイクロソフトの営業、マーケティング予算を見る限りではおおむね順調に額が増加してきています。

    営業、マーケティング予算 (証券取引委員会フォーム10-Kより)
2009年 12,879 百万ドル
2008年 13,260 百万ドル
2007年 11,541 百万ドル
2006年 9,818 百万ドル(別データより)

メーカーや販売店がマイクロソフトの支配から逃げようと抵抗しているのでしょうか?
販促に使うメディアが私のあまり見ないもの、たとえばテレビなんかに変わったのでしょうか?
日本市場が見捨てられてしまったのでしょうか?

いずれにしても、購買意欲は低下気味です。
OS無しで購入してUbuntu9.10(10月29日リリース予定)でもいいかと思うのですが、こちらはこちらで日本語入力方法をはじめ、新しい取り組みが満載で使い物になるか不安なところです。

ブログの引っ越しを検討する

プロバイダとしてずっと使ってきたニフティなのだけれど、頼りすぎで不安な気がしてきました。インターネット接続以外のサービス、メールとかブログとかはリスク分散のためにもよそのサービスを中心に使った方がいいんじゃないかと。
とりあえず移行が簡単そうなブログを移行検討対象にすることにして、思いついた選定条件は重要な順に次の3点です。
末永くサービスの継続が望めることエントリーのエクスポート・インポートが可能で引っ越しがしやすいこと無料であることよく見かける有名どころの無料ブログサービスと比べてみたところ、ニフティのココログでは大きな欠点のない優良なサービスが提供されていたんだということに気づかされました。このままココログでもいいかという気もしてきましたが、いくつかのサービスはなかなか魅力的だったので、検討を続行することにしました。
検討対象はココログと同じ方向性でより進んでいると思うfc2ブログと、ココログとは違う魅力を持っていると感じるGoogle blogger、はてなダイアリーの3つのサービスに絞り込みました。
しばらく並行して更新してみようかと思います。
fc2ブログ : http://ph63.blog96.fc2.comGoogle blogger : http://powerhouse63w.blogspot.comはてなダイアリー : http://d.hatena.ne.jp/powerhouse63w/cocolog : http://powerhouse.cocolog-nifty.com 現行ブログ以下感じたことをメモ

1. fc2ブログ
一番ふつう。迷ったらとりあえずこれを選んでおけばいいんじゃないかと思える。
無料版でもブログといわれて思いつく機能は一通り取り揃えられている。
シェアも高いから永続性も期待していいんじゃないだろうか。
政治的圧力には弱いらしい。それが本当なら弱点。その点livedoorブログは骨があるらしいが、無料版にエクスポート機能が欠けていたので見送り。

2. Google blogger
世界的に有名なサービスだから、サービスが永く続くことを期待していいのではないか。
ブログサービス単体では平凡だが、Googleの他のサービス群との連携が魅力的。写真共有のpicasawebやアクセス解析のanalyticsはもちろん、docs…

サツマイモが巨大になっていた

今までうちで採れたことがないくらい巨大なサツマイモがとれました。
左が2.2kg、右が1.2kgで合計3.4kgです。


パソコンの消費電力をチェックした

パソコンを低電圧版のCPUに交換したので、さぞ消費電力が下がっているだろうと思ってエコワットT3T-Rで確認してみたところ、予想に反して上がっていました。
気楽につけっぱなしにできると思ったのに、残念。速くなったので仕方がないことなんでしょうけれど。新構成: 57WCPU: AMD Athlon II X2 240e (TDP45W)Mother Bord: ASUS M4A78-EM/1394Memory: 2GBytes (DDR2-800, 2枚構成)電源: (株)サイズ CoRE PoWER 2 400WFDD: なし旧構成: 50WCPU: AMD Athlon 64 3000+ (TDP65W)Mother Bord: ECS RS480-ILMemory: 1.5GBytes (DDR200, 4枚構成)電源: SIRTEC HIGH POWER ATX-410-112 410WFDD: 3.5インチ1ドライブ他の部品は変更なし前のパソコンって実は優秀な省エネパソコンだったようです。TDPではAthlon64のほうが大きいのに。ASUSの電源管理ユーティリティを見る限り、新しいCPUの消費電力は5~6Wで推移しているので、CPUのせいだけとは言えません。マザーボードか電源がより電力を喰っているようです。

パソコンをなおした

PCがLinuxでフリーズ、Windowsで再起動を繰り返すようになったのでマザーボードとCPUを交換してみました。
今のところ症状が治まって順調に使えています。
CPUはAthlon 64 3000+ から Athlon II X2 240eに変更しました。プロセスが90nmから45nmへと一気に半分なっていて、技術的にはすごいんだろうけど、マルチコア化で性能を上げても普段使いじゃそんなに速く感じないものです。冷却ファンの音が大きくなってしまったのが残念。(配線を間違えてました)
なにはともあれ簡単に直って良かった。修理中にデータを待避させておくのにマイクロソフトのSkyDriveというオンラインストレージサービスを使おうとしたのだけれど、いかにもウェブアプリケーションといった操作方法で、個数の多いファイルを扱うのに手間がかかりすぎて諦めました。容量は25Gバイトと十分なので期待したのだけれど、こういう使い方には向いていないみたいです。アップロードについてはフォルダ単位でなら一気に行えるツールも用意されているのですけれど、ダウンロードはひとファイルづつクリックしてゆかなければいけないようでした。

Picasa 3.5の顔認識機能が面白い

面白いのだけれども、確かに面白いのだけれども、人の名前を結構忘れていることに気づかされてつらくもある機能が追加されました。つきあいが1年程度だと結構思い出しづらかったり、新入社員時に出会った人は意外に覚えていたり。あまりに人の名前を覚えていなくて絶交された思い出がよみがえってきたり。 今回のバージョンアップでPicasaはPC内にあるすべての写真から顔を抽出してきて、自動的に同じ人をまとめてくれるようになりました。
それに人名を書き込んでゆけば、今まですごくマメな人しか作れなかっただろう顔写真データベースが手軽にできてしまいます。
Google Picasaはこれまでも優秀な写真管理ソフトでしたが、これでPCに興味のなかった人でさえも引きつけられるようなキラーアプリになったかもしれません。顔認識はそこそこ正確で、20人ほど試して別人を同一人物と間違えたのは1件だけ。
同じ人を別人として認識することは結構ありますが、割合簡単に一人にまとめられます。しかし公開されたのはまだ英語版のみで、Windows Vistaではインストール時と、あとから人名を編集する時には画面上で文字化けが発生しました。
編集結果の名前は正常でしたが、日本語版が出るのを待った方が良さそうな気がします。 他にも、ジオタグが従来のGoogle Earthよりも高速なGoogle Mapsを使って指定できるようになったり、キーワードタグという機能が増えたりしています。Version 3.5, Build 79.67 - September 22, 2009Note that this is an English release only.Added name tags in the Picasa software.Improved geotagging: You can now geotag in Picasa using Google Maps in the 'Places' tab.Improved keyword tagging:   New 'Tags' tab for easier tag management.New Quick Tag buttons for easy access to commonly used tags.Import changesAd…

なぜ富山県、とりわけ高岡市は歴史の教科書に出てこないのか(5) - 法則を破る人物も

前の記事7. 戦後の政治そして、民主党政権交代時に自民党の新人議員を送り出す現代になります。
他県では過去の政党だと思われている社民党と国民新党が異様に大きな存在感を持っているところなど、やっぱりこれまで見てきた通りの高岡だと思わせてくれます。しかしそんな中、確かに歴史から埋没してはいるのだけれども、「早すぎたり遅すぎたりと間が悪かっただけで、意図的ではない」というタチバナ現象の定義から外れる例も出てきました。
元読売新聞社主の正力松太郎、別名ポダムさんは金にものをいわせて富山3区から当選1回で総理大臣の座を狙ってゆきます。結局、田中角栄らとの政争に敗れて科学技術庁長官ポストに落ち着きますが、高岡らしからぬ力強い野望を見せつけました。
このことはもう政府、マスコミが総力を挙げて歴史から消しにかかっています。--- 以上、富山県呉西地区、高岡市が権力と微妙にずれたポジショニングをしてきた歴史を眺めてきました。これだけタチバナ現象で体制から距離を置いていても、歴史の教科書からは消されるかもしれないけれど、まあそれなりにやって行けるんだという気にならないでしょうか。最後に、現在の権力が選んだ歴史を列挙してみます。 日本政府の選んだ物語米騒動イタイイタイ病高岡市の選んだ物語大伴家持の文学前田利長の支配金屋の鋳物 - 三協立山、銅器製造販売各社用水を整備した技術者 - 米作り農家高岡市が最近追加した物語伏木の北前船 - 北前船資料館 - 伏木海陸運送山町筋の商業 - 土蔵造りの町資料館東京支配を脱して発展するためにも、『日本の古き良き』などと言って押しつけられている画一的で閉鎖的な田舎のイメージと違った、あなたの呉西地区、高岡市の物語を持ってみることをおすすめします。

なぜ富山県、とりわけ高岡市は歴史の教科書に出てこないのか(4) - 格好よくすらある

前の記事5. 徳川幕府を仮想敵とした前田家支配江戸時代の歴史は江戸だけ見ていればOKという感じで、あとは県ごとに自分の県に存在した藩の歴史を大切に教えているという状況でしょう。この時代の高岡もやっぱり体制側とは逆のポジショニングを行います。
前田家は基本的に幕府を仮想敵と設定していたようで、高岡に幕府の権威の名残を見ることはありません。幕府の目を欺いたり、攻撃に備えたりしていた形跡ばかりが残っています。お城の守りが弱い背後にあった定塚町を、町ごとお城の正面に移す瑞龍寺の屋根瓦を弾丸の原料として使える鉛にした一国一城令でつぶした高岡城址の堀を埋めずに活かし続けた田んぼを狭く見せ、石高をごまかした砺波の散居村高岡最大の祭礼である御車山まつりも、豊臣秀吉が天皇を聚楽第に迎えたときに使った車を高岡の町人に与えることによって前田家の向こうに幕府ではなく、朝廷の威光を見せて民衆を手なづけていたのでしょう。こんなことをしていると当然幕府から疑いの目を向けられるのですが、前田家は高岡を開町した2代藩主の利長をスケープゴート扱いして隠居させ、加賀藩を守ることになります。そうして加賀藩は引き続き金沢を中心として栄え、高岡はまた政治の中心から外れることになります。
もっとも、3代藩主の前田利常の庇護の下、商業的には大きな躍進を遂げるので高岡にとって良かったか悪かったかは分からないところではあります。6. 明治維新時は新政府側ではなかった明治維新のときも当然、新政府側にはつきません。

天野屋蒲鉾店のホームページによると、明治5年、高岡は県庁の設置か米相場の設置かを選べる立場になったとき米相場を選んだのだそうです。
現在から見た結果はちょっと損だったようにも思えますが、「県庁?何それ?食えるの?」って感じが、もうかっこよくすらあります。続く

なぜ富山県、とりわけ高岡市は歴史の教科書に出てこないのか(3) - ここから本番

前の記事3. 鎌倉幕府滅亡直後に後醍醐天皇の息子、恒性皇子を殺害 後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうとして失敗した元弘の変で失脚した後醍醐天皇の息子、恒性皇子は高岡で軟禁されていました。
後醍醐天皇は配流されていた隠岐の島から戻り、再び鎌倉幕府に対して攻勢に転じ、1333年の春についに幕府を滅ぼします。
恒性皇子を預かっていた越中の守護名越時有は鎌倉幕府方だったのですが、鎌倉で北条氏が滅ぼされたころ、450km彼方の出来事を知ってか知らずか恒性皇子を殺害してしまいます。
恒性皇子の墓は都の置かれたことのない場所に存在する唯一の皇族の墳墓なのだそうです。勝者の息子を殺害してしまっては高岡は当然歴史から消されてしまいます。タチバナ現象の始まりです。4. 百姓のもちたる国、一向一揆、浄土真宗門徒による自治室町時代に入ると土砂の堆積で伏木の港湾機能が低下し、国府が放生津のあたりに移動します。そこにはかなり大きな船を持った商人が存在したという記録が残っているそうで、海上交易は依然盛んだったと見てよさそ うです。
この時代に起きた浄土真宗の北陸進出は高岡の文化に対して大伴家持、前田利長以上に大きな影響を与えています。金沢と福光の中間あたりに本泉寺というお寺があります。そこには浄土真宗中興の祖である蓮如の叔父がおり、1471年ごろ比叡山延暦寺との対立で京都にいづらくなった蓮如を福井、石川県境の吉崎へ招き入れます。そして、それを機に北陸地方で一気に浄土真宗が広まります。
越中では蓮如により同1471年に建てられた勝興寺善徳寺と、ひと足早く1390年に綽如によって建てられた瑞泉寺の3つの寺院を中心に信者を増やしました。
やがて浄土真宗の門徒は加賀の守護を務める富樫氏の実権を奪い、金沢御坊を中心としてある種の共和制のような政治体制を作り上げます。これは「百姓のもちたる国」とも呼ばれます。ここでいう「百姓」は網野喜彦が解釈したように、狭く農民という意味ではなく、貴族、武士、町人、神官、僧侶以外の普通の人々ととったほうがよさそうです。この政府は商業活動により経済力を高めた百姓つまり豪商、豪農、廻船業者が中心となって運営されていました。これは朝廷や武士以外の人によって運営された日本で初めての政治体制として、民主主義国家としては大々的に教科書に取り上げられてもおかしくない出来事だといえます。しかし、そうはな…

なぜ富山県、とりわけ高岡市は歴史の教科書に出てこないのか(2) - 本領発揮前

前の記事1. 物部氏が住んでいた 古事記や日本書紀の時代、10代崇神天皇の命を受けて大彦命が北陸道、高志道を平定します。これは大昔過ぎて歴史というよりは神話みたいな時代です。
大和朝廷が畿内から外部に勢力を拡大したとき最初に制圧された地方のひとつといえます。
大彦命は越中の守護として物部氏を残していきました。
時代は過ぎて30代敏達天皇の時代に物部氏は失脚しますが越中には影響はあったのでしょうか。
この頃のことは大和朝廷と藤原氏の都合のいいように記録されているでしょうからなんとも言えないところです。2. 越中の国守、大伴家持が失脚天平時代746年-751年、越中の国守として大伴家持が伏木に赴任してきます。これは高岡の人には最も有名な歴史上の出来事となっています。
文学はもちろん政治的にも有能な方だったと思われますが、越中から帰ったあと次々に政争に巻き込まれており、あまりいい晩年を送ったとは思えません。
橘奈良麻呂の変: 関与を疑われ薩摩守に転任
氷上川継の乱: 関与を疑われ追放
藤原種継暗殺事件: 関与を疑われ没後だが官位剥奪。のちに名誉回復
越中と伏木の政治的な立場には多分影響なかったと思いますが、のちの高岡の影の薄さを暗示しているようにも思えます。この時代、高岡の存在感がどの程度のものだったかを示す資料としては、昨年「越中国射水郡鳴戸開田地図」(759年)が発見されました。これは現在見つかっている中では国内最古の地図だということです。
この地図は当時高岡に東大寺の荘園があったということを示しています。少なくとも穀倉地帯としては重要な土地だったのではないでしょうか。続く

なぜ富山県、とりわけ高岡市は歴史の教科書に出てこないのか(1) - プロローグ

高岡開町400年まつりにはこれを機に「高岡の歴史と文化を振り返り、学び・再発見・再認識する」という目標があります。
しかし、そもそも富山県が社会科の教科書に登場するのは米騒動とイタイイタイ病のみです。高岡市を含め呉西地区なんてかすりさえもしていません。教科書に載らないからといって呉西・高岡に歴史がないわけではありません。
その理由として学生のころささやかれていたのは、「政治、経済の中心はずっと太平洋側だったから」というのと、「歴史の資料が一向一揆で燃えてなくなったから」という2点でした。・ 「政治、経済の中心はずっと太平洋側だったから」説
幕府の置かれた鎌倉と江戸は確かに太平洋側にあり、政治的に日本海側が中心となった時代はないようにみえます。しかし、経済的には日本海側が大きな存在感を持っていました。太平洋側より日本海側のほうが先に海上交通が発達し、盛んに交易が行われていたようです。・「歴史の資料が一向一揆で燃えてなくなったから」説
一向一揆というのは意外と戦争のようなことはあまりやらなかったようです。加賀にしても富樫氏を滅ぼしたわけじゃなく、百姓のもちたる国だった頃も守護はひきつづき富樫氏がやっていたりします。激しく戦ったのは織田信長に攻められたときの、後に大阪城となる石山本願寺や伊勢の長島くらいなのではないでしょうか。そもそも富山県で激しく戦っていたなら瑞泉寺、勝興寺、善徳寺が織田家の武官だった前田利家と仲良く同居する気にならないはずです。浄土真宗には焚書をする習慣も動機もなさそうですし。少なくとも他の地方よりも昔の資料が大幅になくなったとは考えづらいところです。
これは勘ですが、一向一揆と明治維新のときに行われた神仏分離・廃仏毀釈運動が混同して伝わっているのではないかという気がします。富山藩は廃仏毀釈の特に激しかった場所のひとつです(富山藩合寺事件)。富山の廃仏毀釈運動については玉永寺さんのサイトで詳しく紹介されています。お寺が取り壊されたり、経典が焼かれたりしたので、こちらの事件ではきっと歴史的な記録も失われたに違いありません。ただ、これだと藩や商人が持っていた記録は消えません。そもそも歴史上重要な事柄なら京都か江戸にも記録されているはずです。なので、どちらの説も決定的ではないと思います。これは仮説ですが、問題は歴史を記述する側にあったのではないでしょうか。歴史は勝者…

高岡開町400年記念事業の企画をみて

日曜日に書いていたエントリーで、高岡の歴史を考えるときは前田利長中心ではなく、普通の人の歴史を中心に考えるべきだと書きましたが、高岡開町400年まつりの企画書を見ると、利長以外にもちゃんとスポットライトを当てようとしていたようだという気がしてきま した。少なくとも委員のうち何人かはそういう意志を持って企画していたんじゃないでしょうか。自分もその影響下で前のエントリーのように考えるようになっていたん じゃないかという気がします。

高岡開町400年記念事業に関する報告書 平成18年3月30日 (PDFファイル) お祭りでは記念誌「高岡を愛した先人たち」を発行したり、「高岡の偉人」40人の扮装をしてみたりしたのがその意志の実体化だったのでしょう。中学生には無料で配られたらしいのですがどんな記念誌なのでしょう?

高岡は城下町ではなく江戸時代から町人が中心となった都市だったはず

今週末は高岡開町400年にあたって高岡開町まつりが行われています。テレビや新聞やパンフレットでお祭りの広報を見ていると、高岡の歴史として前田利長ばかりが取り上げられ、まるで城下町であったかのような説明がされていて、それにはなんだか歪みを感じます。歴史が教訓を現在に活かすためにあるのだとしたら、過去も城下町ではなく、現在も政治の中心地ではない高岡が、まるで城下町であったかのような歴史観を持っ てしまうのは損失ではないでしょうか。過去の高岡は政治権力が牽引して発展した都市ではなかったし、今後も県庁所在地のように政治権力を活用した発展はありえません。それを待ってしまうとずっと衰退するに任せることになってしまいます。江戸時代の高岡町人たちが前田家を崇めたのは彼らが前田家に恩を感じていたからにほかなりません。高岡のインフラを整備し、安全を保障してくれたから、加賀藩内で通用するいくらかの専売権をくれたからという理由だったはずです。まあ怒らせると怖いからといった理由もあったでしょう。
じゃあ、現代の我々が過去の有用な遺産について恩を感じるとしたら誰に対して感じるべきかと改めて考えるとき、今回のお祭りのように本当に前田利長にだけスポットをあてていればいいのでしょうか?。私は現代の我々は利長と同じくらいに過去の高岡の普通の町人の歴史を知るべきだと考えます。
なぜなら、高岡の町は前田利常によって与えられた加賀藩内の利権を超える発展をしており、高岡の普通の町人たちは何かすごいことをやってのけたに違いないからです。代表的な例は江戸時代の高岡を牽引した産業であり、最も大きな実をつけた綿市場です。高岡商人は前田家から加賀藩内の綿の独占権を与えられただけなのに、結果を見ると日本全体の綿市場を支配してしまっています。そもそも藩内には綿の大産地も大消費地もないにもかかわらずです。医学もそうです。なぜか高岡では医学が発達します。能登半島の妊婦さんは高岡の方角に向かってお参りをすると安産が約束されるという信仰がかった話まであったそうです。当時最高の医師がなったであろう幕府奥医師に利屋町の佐渡養順堂から出た坪井信良が就任しています。説明の必要すらない高峰譲吉も輩出しました。他にも鋳物産業を発展させた金屋、北前船の寄港地として栄えた伏木、100万石の2/3を占める砺波平野の米を集積した吉久、それぞれ繁栄を極め…

確かに子供に宗教はトラウマになりえる

物心つかないうちから親にキリスト教信じさせられて苦しい人、いませんか。
どこにも声をあげる場所がありません。(はてなアノニマスダイアリー)
http://anond.hatelabo.jp/20090910014230どう答えてあげればいいのか分かるほど質問が飲み込めていないし、自分の経験も解釈できていないのだけれども、確かにそういうことはあると思います。幼稚園のころ仏壇の前でキリスト教を信じるか仏教を信じるかなんてことを考えて深刻に悩んでいた記憶があります。詳しく思い出せないのですがつらがっていた覚えはあります。でも、小学校4,5年生になるころには神などの宗教世界観を否定していました。どういうきっかけでそうなったのかは忘れてしまいました。私の場合は神や悪魔や極楽浄土や運勢などのオカルトものの否定は簡単だったのですが、依然として宗教由来の倫理観に縛られているのだということは近年まで自分の意識の外にありました。「戦争における「人殺し」の心理学」(デーヴ・グロスマン著)などの本を読んでいるうちにようやく気づくことができました。(直接関係ない本だけど。)そういう刷り込まれた宗教倫理は労働への勤勉性とか、人を殺さないとか、便利な事もあるのですが、お金儲けを否定する意識の呪縛なんかはかなりきついなと感じています。キリスト教的倫理観に縛られているということを意識化に置くことができているこのブログの筆者さんはそれだけでもすごいと思います。自分の事に関しては、そういうのはきっとみんなそれぞれ持っているんだと思って付き合ってゆけばいいんじゃないでしょうか。他の子供がそういう思いをするのを憂うのは、そういう思いをしている子を見つけた時には慰めてあげようという心持でいればいいような気がします。どうせ宗教以外でも躓く石はたくさん転がっているのですし。

高岡における良さげなサードプレイスはどこだろう?

仕事するのにオフィスは要らない - ノマドワーキングのすすめ」(佐々木俊尚著)を読み始めました。
ノマドワーキングでは人と人とが自在につながり、場所には拘束されない仕事の方法です。こんな風に仕事ができたらいいなという憧れも抱くのですが、これからはこれができないと食いっぱぐれるんじゃないかという焦燥感も感じさせられます。
その働き方を構成する要素にオフィスを持たず、その時々で仕事に適した場所に陣取って仕事をするというのがあり、その仕事場所をサードプレイスと呼ぶ(Ray Oldenburg)のだそうです。そのサードプレイスを提供することを試みて成功したのがスターバックスだったのだとか。
じゃあ富山県高岡市近辺でサードプレイスとなりえるのはどこか?
気軽に長居ができて、立地が良くて、無線LANが使える場所。無線LANはほとんど普及していないので携帯かPHSのデータ通信カードに頼ることになるでしょう。
・無線LANのエリアで探すなら
無線LANスポットという条件で探すなら商工ビルや高岡大和百貨店、高岡文化ホールがあるのですが、商工ビルと大和は落ち着ける場所が思いつきません。大和ならお得意様サロンに入れるようになればいいのかも。
この中では文化ホールのカフェが穴場でしょうか。穴場過ぎて誰もいないのが欠点といえば欠点です。
・車が使えるなら
イオン高岡(無線LAN有)まで行けばサンマルクカフェがいい感じだし(スターバックスもあるが残念ながら落ち着かない場所にある)、明文堂書店高岡射水店も中にタリーズがあって居心地がいいのですが、どちらも郊外の不便な場所にあるのが欠点です。
・高岡駅周辺なら
市街地なら駅前の市立図書館は悪くないのですが、時間によっては高校生で埋まっているから午後は使えないと思っていたほうがいいでしょう。
図書館以外だとスターバックス的な広さと気安さは失われるけど、小規模な個人経営の喫茶店から隠れた穴場を探すことになります。全ての喫茶店を知っているわけではありませんが、末広坂にあるいっぽ堂の2階は比較的広くて静かで高岡市街の穴場といっていいかも。
以上、高岡に出張でいらっしゃった方の参考にでもなれば。

20年前に行った「いまどきの若者について」の座談会のこと。あるいは自虐を強いられる若者について

先日のエントリーで書いた学校祭の座談会について部分的にメモが残っていました。その文書は一太郎Ver.3で書かれているのですが、ジャストシステムが一太郎ビューアというソフトウェアを無償で配っていて、それを使うことで今でも問題なく見たり印刷したりすることができました。ジャストシステムは地味にすごい。
それを読み返してみると話があちこち飛び回る、取り留めのない座談会が記録されています。
今読み返してみて感じたのは、生徒たちが大人の受け売りの言葉で自虐的に若者を責めていることの痛々しさでした。
それも大体が現在の視点からはいわれのないレッテルに見えます。
時代を下るにしたがって「切れる」だの「ゆとり教育で低学力」だの新たなレッテルが開発されてきましが、それを真に受けて自責する必要のない若者が要らぬ自責を繰り返してきたのだろうなと思うとかわいそうな気持ちにさせられます。
近年、自虐史観に基づいた教育を改めて日本に誇りを持てるようにしようという運動が力を得てきているように見えますが、国だけじゃなく個人の自虐性もなんとかできないものでしょうか。どちらかというとこっちのほうが問題だと思います。
1989年当時の若者がどういう自責をしていたかというと、こんな感じでした。
・物質的、モノに頼る
・しらけている
・没個性的
・本を読まない
・情報アクセスへの努力をしない、自分で調べない
・物質的、モノに頼る
後にこの世代はモノを欲しがらない最初の世代となる。今では消費意欲がないと責められる始末。社会人になって何年もギリギリで生活していたらいつの間にか物欲が消えていた。
・しらけている
確かにしらけるのがクールと見なされていた。克服できればよかったかなと思える項目。個人的な感覚では、世代差というよりも地域差が大きいと思う。世代的には今の50代が一番しらけている気がする。
・没個性的
比較的生きている時間の短い若者は、大人に比べて個性が分岐しきっていなくて当たり前。自責の必要なし。
・本を読まない
統計では1990年前後の若者はかなり本を読んだ世代といえるらしい。その後も高止まり傾向で2003年にピークをつけている。参加者が一人も「ノルウェイの森」を読んでいないと馬鹿にされていたが、当時はまだ文庫化もされておらず、ミリオンセラー程度だったと思う。100万部なら100人に1人しか読んでいない…

相本芳彦さんに気づかされたこと

1989年、学校祭の座談会企画で北日本放送の名物アナウンサーだった相本芳彦さんに来ていただいたことがありました。
相本さんが今度の衆議院議員選挙に出馬したことでその時のことを思い出したので書き記してみます。いまどきの若者についてというようなトークテーマだったと記憶しています。そのとき相本さんが学校祭に呼ばれたということにちなんでこんな様なことを言ったのを覚えています。   相本さんが高校生のとき学校祭で政治をテーマとした展示を行った。
   怖いもの知らずでその当時総理大臣だった田中角栄にアンケートの手紙を送った。
   忙しそうな時期だったので返信があると思わなかった。
   飛行機の機中で書かれた直筆の手紙が返ってきた。
   手紙の内容に感動した。
   私は今でも田中角栄が悪い人だと思えない。田中角栄がなぜ忙しかったのか、どういう内容の手紙をもらったのかは残念ながら忘れてしまいました。その頃の新聞やテレビでは田中角栄は悪人だ、金権政治の元凶だという報道で埋め尽くされていました。そういう報道が10年以上にもわたって続けられてきた時代でした。
その影響なんでしょうけど、自分としては"田中角栄は悪い人"というのは鉄板の常識になっていました。
その常識をテレビでニュースを読んでいることもある人が、たいした根拠じゃないとはいえ否定して見せたことはすごく意外な出来事として記憶に残りました。今となれば田中角栄は単純に非難されるべき人物でもないと、いろいろな角度からの検証を目にすることができます。政治の主導権を選挙の洗礼を受けない公務員から政治家に移したのは田中角栄だからこそなしえたことでしょう。東大法学部閥の官僚と官僚出身の政治家に牛耳られていた政治に一区切りをつけた中卒の党人政治家だったわけです。今回の選挙で民主党が掲げる5原則の1番目を40年前に実現しようと戦った先達だったと見ることもできます。相本さんに気付かされる前も、理屈で事実かどうか見当がつく科学報道については新聞やテレビが結構いい加減なことを言っているということくらいは分かっていたのですが、それはきっと報道関係者がみんな文系だからだろうと思っていました。
毎日主要な題材として扱っている政治の分野についてはこの人たちは専門だろうからと、最初から疑うことすら放棄していたわけです。
そこを疑ってみるきっかけを与え…